先日、河野石材店の河野社長の遺恩グループの総会に参加させていただきました。
その中で、メインのテーマとなったのが、寿陵(じゅりょう)であり祈り。
なぜ、石屋さんが神棚を設けて神様について真剣に祈りだしたのか。
祈りの種類だったり、崇拝する対象について、お墓以外も含めてアンテナを張ることで、あらためてお墓の「祈り」についても考えたいと思ったからです。
お墓の「祈り」は根底で、お寺や神社、仏壇や神棚に拝むこととつながります。
そんな折、招待していただいた遺恩グループの総会。
河野社長の寿陵についての説明が、日ごろから「祈り」への感性を磨いていた私のハートを捉えました。
とても深くて素晴らしい内容だったので、皆さんと共有すべくご説明させていただきます。
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目次
寿陵と「祈り」ってつながるの?
寿陵(じゅりょう)について
寿陵とは、自分が生きているうちに建てた自分のお墓のことです。
生前墓といわれることもあります。
古代中国では、寿陵を建てることが長寿につながるとされていました。
また、子孫繁栄や家庭円満などの良いことが訪れるとも言われていて、寿陵は縁起が良いものとされています。
今回の遺恩グループの総会のテーマが「寿陵」って聴いた時に「えっ?何で?」って思いました。
亡くなってからお墓を建てるのでは、他のライバル石材店に負けるから、その前に売ってしまおうというテクニックの話かな?と。
墓石業界では「お悔み営業」というのが常態化しています。
新聞のお悔み欄を見て、石材店がダイレクトメールを送るか、直接営業に行くのですが、消費者からすると石材店にあまり良いイメージを持たない原因にもなっています。
「お悔やみ営業」よりも早くお客さんを捕まえる手段としての寿陵なのかなと。
でも、それだと正直なところ微妙だと感じました(勝手な想像で、河野さんごめんなさい)
だけど、河野さんの講義の内容は、予想を遥かに上回る脳天がしびれるぐらいの衝撃的なものだったのです。
寿陵って何を祈る場所なの?
寿陵が長寿につながる縁起が良いものであることはわかりますが、それでは実際に何を祈るのでしょうか?
一般的なお墓ならわかりますよね?
お骨が入っているし基本的にご先祖様に拝むものです。
感謝の気持ちだったり、お願いだったり人それぞれお祈りする内容は違うでしょう。
しかし、寿陵って何を祈るんでしょうね。
今まであまり考えたこともありませんでした。
誰かが入るまでは、ただのオブジェ?
縁起が良いものなのだから「健康でいられますように」みたいな願い事をする?
もっと広い意味で世界平和でも祈る?
でも普通に先祖供養を祈ってもいいんです。
誰も亡くなっていない寿陵にはご先祖様がいない?
「いやいやいや、まだ誰も亡くなっていないのだからご先祖様いないでしょ。」
と思われる方もいると思います。
日本人はお骨をとても大切にする民族です。
お骨があることが、何か証明のような感じがして安心するのかもしれません。
そこは日本人の感性でもあり大切にしたい部分ですが、ただお骨がある=ご先祖様がいるではないのです。
寿陵でなくても「うちは分家で初代だからさかのぼってご先祖様はいない」とおっしゃる方もいます。
同じ理屈で、お骨を収めるスタートからしかご先祖様がお墓にいないという考え方です。
でも、祈りは観念的なものです。
仏教的にはお骨とご先祖様の魂は引き離して考えています。(魂の捉え方は、宗教、宗派、個人によって違います)
お墓はもっと超越的なもので、ご先祖様をさかのぼってお祈りすることができるのです。
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江戸時代から続くお墓でも、もっとご先祖様をさかのぼれる
中野家のお墓は、墓誌に江戸時代からのご先祖様が刻まれています。
これは本当にありがたいことで、江戸時代からの中野家のご先祖様の記録ですし、お墓にお参りすることに深い意味をもたらしてくれます。
そんな昔から脈々と受け継がれてきていることに畏敬の念を覚えます。
ただ、記録として残っているご先祖様は江戸時代からですが、それより以前の鎌倉時代、平安時代、縄文時代とさかのぼってもにもご先祖様がいたはずなのです。
これは日ごろお墓参りをしていて、感じていたことでもありました。
寿陵でも次男で新しく始まるお墓でも江戸時代から続くお墓でも、等しくさかのぼってご先祖様をお参りすることができます。
人類皆兄弟とは言いますが、この記事を読んでくださっている皆さんともご先祖様をさかのぼるとどこかでつながっているのです。
お墓は自分のルーツに祈りを捧げて感謝をできる場所ですが、そう考えると計り知れないスケールをもっていることに気づきます。
それでもご先祖様がいる証拠が欲しい
「そんなことを言われても、お墓にご先祖様がいる証拠としてお骨がないと納得できない。」
という方がいらっしゃるでしょう。
「祈り」は観念的なものなので、お骨とは引き離して考えるものです。
開眼供養をしていただければ、お墓に魂が宿ります。
だから拝む対象として成り立ちます。
ですが、日本人がお骨をとても大切にすることも事実です。
その価値観は大切にしていかなければなりません。
そうなると、本家のお墓からお骨を分骨させてもらうとか、納骨堂の中の土をちょっといただくとかして、ご先祖様の証拠を分けてもらうのもいいかもしれません。
あとは、石塔や墓誌に「先祖代々」の文字を刻めば記録としても残ります。
何かしら証拠があると、気持ち的にも全然違ってくると思います。
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まとめ
河野さんが「石屋さんは、施主さんにとって拝む対象であるお墓をつくる誇り高き仕事なんだ。」と言っていたことが印象的でした。
世の中には、いろいろなモノで溢れていますが、拝んでもらえるものを作る仕事はそうそうありません。
石屋さんの仕事は、お墓を建ててくださるお客さんにお墓に祈る意味を説明してあげることなのだと思います。
人間は、日ごろ「ああなったらいいな、こうなりたいな」なんてことを無意識に願っています。
また悩みや後悔もあって、日々の生活にストレスも感じています。
「ダイエットをするつもりが食べ過ぎてしまった。」
「仕事をもう少し進めるつもりがサボってしまった。」
こういうことって、少しづつ積み重なり精神を蝕んでいくんですよね。
祈りには、自分の悪い部分を告白することで、心が楽になるという効果もあります。
これを定期的にきちんと対象物を設けて祈ったらどうでしょう。
祈りのシステム化ですね。
この祈りのシステム化はいたるところに見られます。
初詣、お盆、お彼岸。
初詣で一年の願掛けをすると、その年を元気に過ごせそうな気がしてきますよね。
キリスト教の日曜礼拝も同様です。
毎週日曜日になると決まってお祈りをする。
祈りは繰り返さないと意味がありません。
お墓参りも定期的にすると、自分に計り知れない恩恵があります。
これを功徳(くどく)と言います。
く‐どく【功徳】
仏語。
1 現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根。「功徳を施す」
2 神仏の恵み。御利益(ごりやく)。参照:デジタル大辞泉
お祈りを繰り返すことは、とても利にかなっているんですね。
日ごろ忙しくて、心にゆとりを持ちづらい現代人だからこそ、お墓参りを定期的にすることもいいものだと思うのです。
遺恩グループの総会でも講義をさせていただいたのですが、私は今「ご先祖様の大切さ」をつたえる活動をしています。
僧侶である井上広法先生のご協力もいただいて、マンガを制作させていただきました。
また、3月3日には、東京都渋谷区恵比寿にある寺子屋ブッダラボにて「いのちの積み木ワークショップ」を行います。
日にち:3/3(土)
時間:1回目13:30~15:00
2回目15:20~16:50 各回90分
人数:各回10名
東京都渋谷区 寺子屋ブッダLAB 恵比寿
講師: 井上 広法
チケットサイト
・ワークショップ 1回目
・ワークショップ2回目
プロジェクトサイト
http://gosennzosama.11ohaka.com/
Facebookページ
https://www.facebook.com/inotinotumiki/
ご先祖様について深く学びたい方、もっとお墓参りに深い意味をもたせたい方は、ぜひご参加ください。
供養業界関係者、一般の方、どなたでも参加可能です。
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