お墓って何だろう?
まずお墓は故人やご先祖さまのご冥福をお祈りするための場所です。
それと同時に、自分のココロの整理ができる癒しの場所であり、故人やご先祖様と家族や知人をつなぐキズナでもあります。
お墓って何だろう?お墓を建てた方達にとってどんなものなのだろう?
ちょっと変な石屋かもしれませんが、とにかくお墓が好きなので、まず自分がとことんまで体験して知ってから誰かに伝えたいと感じています。
お墓の価格、産地、デザイン、色、場所、構造、ステイタスなど、いろいろお墓を建てる上で考えることがあるけど、供養のココロを前提にしないと形だけの薄っぺらいものになってしまいます。
お墓はお骨を収めるためにあるだけでなく、故人やご先祖さまに祈りを捧げる場所であり、多分に宗教的な意味を持つものだからです。
お墓の購入前に読む初心者向けの本は巷に溢れていますし、ネット上にも沢山の情報が転がっています。
でも、故人やご先祖様への供養のココロや祈りの意味といった、お墓の前提となる部分にはあまり触れていないように感じます。だけどそこが一番大切なんです。
お墓を購入するに当たっての入門のさらに入門編ということで「供養やココロの祈りの意味」について紹介させていただきます。
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目次
なぜ、ご先祖様に祈りを捧げるの?
ご先祖さまは、今自分が生きている礎(いしずえ)となってくださっている方々です。
今このブログ記事を読んでくださっている読者さまは、お腹が空いたらご飯を食べて、自分の好きな趣味に没頭したり、友人と楽しくどこかに遊びに行ったり、そんなことができるのはご先祖さまがいてくれたおかげなんです。
楽しいことばかりではありません、人生を生きていれば苦しいことや辛いこと、悲しいこともあります。それもご先祖さまから受け継いできた命があるからです。
そんなご先祖さまのご冥福をお祈りして、ご供養してさしあげる場所がお墓になります。
お墓は亡き故人を思い出すところ
おじいちゃんおばあちゃん、ご両親と家族が亡くなることは悲しい経験です。
でも深い悲しみも月日と共に癒え、少しづつ忘れていきます。だけど大切だった人々を忘れていくこともまた悲しいことであります。
日本人は、先祖供養を大切にしてきた民族です。証拠は、お盆やお彼岸といった『ご先祖様を祀るための行事』が多くあることですね。
お盆やお彼岸でのお墓参りは、定期的に故人を思い出す機会になります。
お墓には、戒名や俗名といったご先祖さまの記録が刻まれますが、記憶もつないでいく場所でもあるのです。
それでも世代を超え、時代が移り変わると知らないご先祖さまになっていってしまいます。
だけど、今の自分はその知らないご先祖さまがいなければ存在していません。その事実は変わりません。
私は、「いのちの積み木プロジェクト」というご先祖さまを【見える化】した玩具を用いて、命の意味を伝える活動をしていますが、私たちの命は積み木のようにご先祖さまの重なりの上に成り立っています。
10代さかのぼると、2000人を超えるご先祖さまの積み重なりの上に生きていることになります。
もうこうなると、スケールが大き過ぎて想像が及ばない神様のような存在であると感じるのです。
神道では、ご供養を繰り返すことでご先祖様は祖霊となり神様になっていくとされていますが、大切に供養したご先祖さまが神様になるのはいのちの積み木を見ているとわかりやすく理解できます。
私たちの命は、いのちの積み木のようにご先祖さまの積み重なりの上にある。
ご先祖さまという土台があって、今の生活がある。
土台であるご先祖さまを大切にすること(=供養)は、木の根っこに水をやり育てていくようなもので、自分や家族に幸せという果実をもたらします。
これって、最大限の自己肯定にもつながるんですよね。
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お墓参りは明日を生きる糧になる
お墓参りは、突き詰めると自分のためであります。
故人との離別の悲しみを癒し、自分の命のルーツであるご先祖様に祈りを捧げるためもの。人はココロの生き物であり、感情を整理しないと辛いですし、大切な存在を感じることで今日を生きていく元気をもらえます。
だから私は、お墓は家族のお守りのような感覚を抱いています。あると安心する。ココロのよりどころになるそんな存在。温かくご先祖さまが見守ってくれているイメージです。
また、お墓は家族のキズナの象徴でもあります。実際に洋型のお墓に『絆』の文字を刻む人も多い。
亡くなった故人とのキズナ、遠く古いご先祖さまとのキズナ、そして今を生きる家族とのキズナ。もちろん生前お付き合いのあった友人や知人もそうです。
それらのキズナをつなぐのがお墓の機能です。
ご先祖さまを想うことで、今の家族が前向きに生きる糧になります。
お墓参りで豊かな想像力を育む
一般的なコミュニケーションは双方向的なものであり、自分が「こんにちは!」と言えば相手が「こんにちは!」と応えてくれます。
電話やLINEでもそうです。離れた距離で、コミュニケーションがとれる現代のツールです。便利ですよね。
お墓参りをして、お墓に向かってご先祖さまに言葉を掛けても何かが返ってくるわけではありません。
お墓参りは、自分の中で想像力を働かせてココロの中でご先祖さまと会話をするコミュニケーションです。
これは動物にはとてもできることではなく、知能のある人間だからこそできる高度で文化的なコミュニケーションになります。
今の時代は、科学が発達し、どんどん便利になり、人間が知らないことは少なくなってきています。コミュニケーションも便利になり、電波やWebで遠く離れていてもいつでも誰かとつながることができます。
TVを見れば、テロップでわかりやすく説明をしてくれるし、街に出ればパンフレットが溢れあらゆることを説明してくれています。そんなわかりやすい時代。
ただ、その弊害として人々の想像力が乏しくなってきている部分もあると感じます。目に見えないものを信じにくくなってきています。
『祈り』のパワーを上手に活かすコツ
『祈り』は目に見えません。でも『祈り』は皆さん日常的にされています。
いや『祈り』なんて捧げていないよとおっしゃる方がいるかもしれませんが、例えば、サッカーが好きな方だったら自分が押しているチームが勝てるように一生懸命に応援をすると思います。「勝て~」と願うことは立派な祈りです。
私には小学2年生の息子がいますが、アスレチックで遊んでいたりするとついつい(落っこちて怪我するな~・コケて膝を擦りむくな~)などと声に出さない願望を唱えていたりします。
そんな目に見えない『祈り』
現代社会はわかりやすい時代であり、人々は目に見えるものを信じる傾向にあります。
でも皆さん日常的にさまざまな『祈り』を発していて、例えば仕事をしていてお客さんの喜ぶ笑顔を想像しながら誇りをもてる成果物に仕上げることも”思いを込める”『祈り』なのです。
『祈り』にきちんとした場を与えてあげると、スッキリと気持ち良く流れて、ココロの安定だったり、日々生きる活力になります。
そんな祈るための場所が神社やお寺なんです。家だと神棚や仏壇ですね。きちんと祈ることができる『祈りの場』
『祈りの場』で意識的にお祈りすることが『祈り』のもつパワーを上手に活かすコツなんです。
お墓は、ご先祖さまを供養するための『祈りの場』になります。
日常的に、故人やご先祖さまを思い出すことはできるかもしれませんが、お墓は正式な『祈りの場』としてそこにあります。
お墓でご先祖さまのご冥福をお祈りすると、淀みなく供養のココロをご先祖さまに伝えることができます。ある意味、家族のための贅沢な『祈りの場』です。
結果、豊かな想像力を育み、ココロの教育、特にお子さんの情操教育として素晴らしい効果を発揮するのです。
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まとめ
お墓の入門の入門と言うことで、お墓の前提となる『供養のココロ』や『祈り』の意味について触れさせていただきました。
お墓の購入を検討する上で価格、産地、デザイン、色、場所、構造、ステイタスなどいろいろと考えることはあるけれど、そもそも『何でお墓を建てるの?』という部分が一番大切なんです。
それは機能的な面で言えば、お骨を収めるための場所ということになりますが。お骨だけを考えれば海に撒く『散骨』がもっとも合理的だったりします。
海に撒いてしまえば、管理する必要がありません。お金もかかりません。先祖供養をする必要すらありません。
ただ、現実的に散骨をされる方でも手元にお骨を残す方が大半を占めるそうです。『祈り』の具体的な対象を残したいという気持ちの現れであると考えます。散骨してしまって後悔している方が多いというデータもあります。
お墓は、家族や親戚、知人で共有できる過去と現在をつなぐ『祈りの場』です。思う存分に先祖供養ができる場所であり、そう考えると、とてつもないパワースポットでもあります。
そうお墓を捉えていただけると、お墓の意味合いも深まりお墓のある生活をワクワクして取り入れていくことにもつながると感じています。
お墓が家族にもたらす幸せ。
お墓が皆さんにとって素晴らしい『祈りの場』になることを『祈り』つつ、このブログを閉じさせていただきます。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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