茨城県水戸市にある天台宗薬王院には、市の指定文化財に指定されている高さが約2.4mにもなる大きな五輪塔があります。
この五輪塔は、水戸藩主頼房の二男で、光圀の兄にあたる松平亀千代丸が、寛永5年(1628)11月4日、4歳で早逝し、その供養のために建立された石塔です。
水戸光圀の兄の五輪塔は、独特の形をしていて、お施主様が気に入られました。
本物が安山岩でつくられているので、同じ安山岩である神奈川県真鶴産の本小松石でつくることにしました。
超高級だけど。
実は、この本小松石の五輪塔をつくるまでには、相当な苦労がありました。
加工の様子から完成まで、動画で一連の流れがわかるようになっていますので、どうぞご覧ください。
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目次
水戸光圀の兄の五輪塔の複製ができあがる様子
東の横綱とも言われる神奈川県真鶴産の本小松石。
加工から完成までの様子を動画で追っていきます。
まずは、こちらが光圀の兄にあたる松平亀千代丸を供養するためにつくられた水戸市楽王院にある五輪塔。
江戸時代初期の頃につくられた五輪塔だけあって、歴史があり風格もありますよね。
笠のはりが少なく、一番上の宝珠が大きいのが特徴です。
そして、今回新たに本小松石で複製した五輪塔。
すごい存在感ですよね。
芝台と呼ばれる石塔の下の台まで含めると約2.7mにもなります。
本小松石の色合いが何とも言えません。
後ろの石積みは木曽石になりますが、周りの景色にも馴染んでいます。
この本小松石の五輪塔、石工の技術の結晶なのですが、その前にサイズに見合う本小松石を見つけるのが大変でした。
そういった意味では、本小松石の採掘元さんが一番苦労したかもしれません。
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五輪塔に見合う大きさの本小松石が見つかりません(泣)
安山岩である本小松石は、ゴロゴロっと石の塊で取れます。
なので、大材で採掘しにくくて、大きなお墓をつくるのには不向きな石種なのです。
本小松石が、高級石種なのには事情があるのです。
今回の五輪塔をつくるにあたって、1年近く本小松石の採掘元から石が届くのを待ちました。
届いたのはいいけど、五輪塔として利用するには相応しくない部材もあったので、取り替えてもらっています。
たぶん、相当な苦労を強いていると思います。
わがままを言ってすいませんでした。
本小松石の五輪塔を加工していく様子
石工職人がつくる五輪塔には魂が宿ります。
なんて言うと「大袈裟な!」と言われてしまうかもしれませんが、ほんとにそう思えてくるぐらい石工は、心骨を注いでつくります。
大きな五輪塔ですが、一つの作品は一人の石工がつくるのが鉄則です。
鉄則というか、他の職人の手が加わるのを嫌がります。
当たり前ですよね。
自分の作品として五輪塔に向かい合っているわけで、部材毎に違う人がつくったらそれは自分の作品ではなくなります。
なので、時間が掛かっても一人でつくります。
施主様に「急いでつくってくれ!」と言われても、その部分だけはしっかりと事情を説明させていただいています。
石工の技術とプライドを詰め込んだ作品です。
作品を手掛けた古木さん、お疲れ様でした。
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まとめ
水戸光圀のお兄さんの供養のためにつくられた五輪塔の複製をつくらせていただいたという話でした。
五輪塔のある楽王院と同じ天台宗のご住職様のお墓としてつくらせていただいています。
本小松石の素晴らしいところは、わびさびのあるところです。
和のこころです。
月日を経て、風化するにつれて味わいが増します。
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