お地蔵様が令和でも人気がある理由についてどこよりも詳しく深堀り解説

日本全国津々浦々、いたるところにあるお地蔵様。お寺でも道端でも川のほとりでも山の上でもお墓でもあちこちにいらっしゃいます。

令和の世でも変わらず皆に親しまれ、数多くつくられ続けているお地蔵様。

しゅっとすましたお顔立ちから、可愛らしいものまであり、これほどまでに石の魅力を引き出せる素材はないと感じています。

なかの
こんにちは、1級お墓ディレクターのなかのFacebook Twitter自己紹介)です。お墓YouTuberでもあります。

今回は、なぜお地蔵様がここまで人気があるのかについて深堀り解説していきます。

お地蔵様を端的に表す表現として、お墓について20年以上研究された石文化研究所所長であった小畠先生は以下のようにおっしゃっています。

あの世で苦しむ人びとを救うため地獄へまで出かけていくお地蔵様。アミダ様よりも身近で、名もない人々の願いをかなえ子供好きの慈悲深いボサツ様。

令風に要約すると私たちを救ってくれる子供好きの超優しいボサツ様!!というところです。

そんなお地蔵様は、民間信仰によって日本中に広まっていきました。そのプロセスも熱いのですが、令和の世でも通じるそのお地蔵様のご利益を解明していきます。お地蔵様の情報の決定版です!

小畠宏允著「日本人とお墓シリーズ」(17冊特別セット)⇦今回、特に参考にさせていただいた書籍。

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目次

民間信仰で大きく広まったお地蔵様

お地蔵様

お地蔵様は子供好きで慈悲深いことで有名ですが、特徴をハッキリするために静岡県につたわる特徴的な民話を紹介します。

水遊び地蔵さま

むかし、森町の西の谷崎の村に、八右衛門というやさしい庄屋さまがおりました。

ある夏の日、村はずれの小川で子供たちが雑魚とりをしているのを眺めていた八右衛門、その道端にいつも立っているお地蔵様がせき石にされているのを見てびっくり

こらこら、ばちがあたるぞ」八右衛門は、お地蔵様をきれいに洗ってもとの場所に据え、「二度としちゃいかんぞ」と子供たちを叱って帰りました。

するとその夜、八右衛門の夢に昼のお地蔵様が出てきて、「わしが子供たちと楽しく遊んでいたのになぜ邪魔をした」と叱るではありませんか。

翌朝、八右衛門は目を覚ますと昨日の子供たちを集めて、「お地蔵様は、お前たち子供が好きなそうだ。これからも仲よくやってくれよ」と、お菓子をくれてやりました。子供たちは大喜び。お地蔵様とまた遊び始めました。

その後、このお地蔵様は『水遊び地蔵さま』と呼ばれ、子供を守るお地蔵様として皆がお参りに来るようになりました。

森町教育委員会発行「森町ふるさとの民話」より

この話を読んで、八右衛門に共感される大人は多いでしょう(笑)

私も子供たちがお地蔵様を川の流れをせき止めるために使っていたら、怒ってしまいそうです。

だけどもお地蔵様は「子供と遊んでいるのに邪魔するな!」と言うのです。

 

お地蔵様にはこのような民話や昔話が沢山あります。笠子地蔵が有名ですよね。

お地蔵様はいわゆる現在でいうところのロイヤリティフリーに近く、特定の宗派に寄らないで民間信仰として広まっていきました。なので、様々な物語を作りやすかったのです。

 

あの世とこの世の境界石であるお地蔵様

墓地の入り口やお寺でお地蔵様が六体並んだ「六地蔵」を良く見かけますが、死者と正者の境目にあって、ちょうど「道祖神」や「塞の神(さえのかみ)と同じ境界石として扱われたのも日本中に広まった理由になります。

境界石は、私たちが住み暮らしている日常の世界と、そうではない外の世界(異界)との境目に立てられて様々なはたらきをします。

 

昔は今ほど交通がよくありません。外の世界と行き来はごく限られていたので、善いことも悪いこともみな、日常ではないことは外界からやって来ると思われていました。

善いことは大歓迎ですが、疫病などは裏の境目に塞の神をつくって防がねばなりません。未知の外の世界に出ていくときは、村はずれで旅先の安全を祈るために道祖神をつくりました。

 

同じようにお墓の入り口は、生きている人の世界と亡くなった人の世界との境界です。そこに立つ六体のお地蔵様は、あの世へ旅立つ人の安全と安らぎを祈る「道祖神」であり、死者が迷ってあの世からこの世へ帰ってこないための「塞の神」です。

境界石としてのお地蔵様は、お墓やお寺以外にも町や村の境界や交通事故のあった場所、山の中の交通の難所や、温泉が湧き出る地獄谷と呼ばれるようなところ、探してみるといたるところにいらっしゃいます。

 

お地蔵様の種類

一口にお地蔵様と言っても色んな種類のお地蔵様がいらっしゃいます。代表的なものをあげてみると。

  • 六道輪廻から救う六地蔵
  • 重労働や田植え作業をする泥足地蔵・土付地蔵・田植地蔵
  • 戦場で危ないところを救う将軍地蔵・矢取地蔵・縄目地蔵
  • 子供の守り本尊としての子安地蔵・子育地蔵・夜泣き地蔵
  • 水子の霊を祀るために建てられるの水子地蔵
  • 新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという延命地蔵
  • 刺を抜く、すなわち傷みを取り除く、病気を治すとげぬき地蔵

バリエーションが豊富ですよね。それだけ庶民の間に浸透していたという証拠でもあります。

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そもそもお地蔵様ってどこから来たの?

それではお地蔵様がどこからやってきて日本に根付いたのか遡って調べてみましょう。

お地蔵様はインド生まれの菩薩様です。正式な名前はクシティ・ガルバ。クシティは「大地」、ガルバは「母胎」という意味で、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされています。

 

もともとは、インドの農業女神で地神でした。そこからバラモン教の神となり、のちに仏教の菩薩になります。

人々にさまざまな現世の利益をもたらし、六道からの救済、とくに地獄で苦しむ人たちを救うという大きな使命(本願)をになっています。

 

地獄に堕ちるというのは現代人でも思い描くし怖いですよね。

ちなみに地獄は六道の1つになります。

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。六趣、六界ともいう。

参照元:Wikipedia

六道には下記の6つがあります。

  • 天道(てんどう、天上道、天界道とも)
  • 人間道(にんげんどう)
  • 修羅道(しゅらどう)
  • 畜生道(ちくしょうどう)
  • 餓鬼道(がきどう)
  • 地獄道(じごくどう)

仏教は悟りを開き六道から解脱することを目的としています。六道を輪廻転生を繰り返し、延々とぐるぐるしているのは大変「お地蔵様はそこから救ってくれるよ!」ということです。とくに地獄は嫌ですよね。

 

お地蔵様が出てくる代表的なお経

お地蔵様の代表的なお経は3つあります。

地蔵三経

  • 地蔵十輪経(ぢぞうじゅうりんきょう)
  • 地蔵本願経(ぢぞうほんがんきょう)
  • 占察善悪業報経(せんさつぜんなくごうほうきょう)

 

お地蔵様は野球でいうところの中継ぎピッチャー

野球では、先発ピッチャーが投げて、その後に中継ぎピッチャーがつなぎ、抑えであるクローザーが締めることが勝利への方程式だったりします。

上記の地蔵三経によるとお地蔵様は、先発の釈迦如来(お釈迦様)と抑えである弥勒如来(菩薩)の間をつなぐ中継ぎの役割を担っています。もっとも弥勒如来(菩薩)がやってくるのは果てしない先の未来ですが。

 

お釈迦様が入滅してから1,500年(または2,000年)以降は末法(まっぽう)とされ、悟りを開いた仏様がいない時期を指します。そして56憶7千万年後に未来仏である弥勒如来(菩薩)が世に現れます。

56憶7千万年は太陽系の寿命とだいたい同じぐらいだそうです。人間の尺度では捉えようのない途方もない先の未来ですが、それまではお地蔵様が六道に苦しむ人々の救済をするようにお釈迦様からゆだねられました

 

ちなみに末法思想とは次のような内容になります。

末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである。

参照元:Wikipedia

要するに「お釈迦様の教えが滅びて、悪い世の中になるよ」ということです。

平安時代も末期になると、武士が台頭してきて、治安が乱れるようになり、仏教界も諸寺が腐敗し僧兵の出現によって退廃していったそうです。ちょうど時期的に末法思想と悪化する社会情勢が重なり民衆の不安が増大していきました。

そこでそんな末法の世において人びとを六道輪廻から救ってくださるお地蔵様が民衆に受け入れられるようになっていったのです。

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阿弥陀如来と地蔵菩薩ではどっちが人気がある?

阿弥陀様 お地蔵様

ここでお地蔵様についてさらに深堀りをしていくために、同時期に末法思想によって広まった阿弥陀如来と地蔵菩薩を比較していきます。

その前に整理しておくべき話として、「如来と菩薩とではどっちが位が高い?」という話があります。

如来は悟りを開かれた方であって、菩薩は悟りを開くために修行をしている身です。つまり位としては阿弥陀如来の方が高い。

 

華厳経』及び『菩薩瓔珞本業經(ぼさつようらくほんぎょうきょう』では悟りに至る修行の段階によって52位まで分けられますが、如来は最高位の52位で、菩薩は次位の51位になっています。

ちなみに禅宗を開いた達磨大師が30位とのことなので、比較すると菩薩も凄いというのもわかるかと思います。

 

如来:悟りの境地を開いた、最高ランクの仏様
大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来など

菩薩:いずれ如来になるべく悟りを求めながら、人々に現世利益の福徳を授けてくれる仏
弥勒菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・千手観音・地蔵菩薩など

 

そんなめっちゃありがたい阿弥陀様ですが、「末法の世」の到来に怯える中で浄土教が急速に広まり始めました。

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。

参照元:Wikipedia

単純な話、南無阿弥陀仏と唱えるだけでお浄土に行けるのだったら、六道をぐるぐるするよりもずっとそっちの方がいいと思うのが人情です。

だって地獄だなんだって心配する必要もがないんですから。

 

地獄にホトケはお地蔵様

地獄にホトケ 地蔵菩薩

でもここで問題が一つあって、阿弥陀様は、生きているうちか臨終のときに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」のお念仏を唱えないと浄土にお迎えに来てくれません

だけどお地蔵様は臨終や念仏に関係なく、有縁無縁の人がすでに地獄へ堕ちて苦しんでいても地獄まで出かけて行って、皆平等に救ってくださいます。

「地獄にホトケ」って言葉がありますが、この場合のホトケはお地蔵様なのです。

 

浄土思想が広がると同時に、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるという信仰が強まりましたそこで地蔵が地獄における責め苦からの救済を担うようになったのです。

確かに人間キレイごとばかりで生きていけないので、どこかで「地獄に堕ちるかも」と思う瞬間があるのかもしれません。皆さんもそっと胸に手を当てて思い描いてみてください。

 

生き地獄とか通勤地獄とか、現代でも地獄という言葉は日常的に使われます。地獄の極卒である鬼も良く聴きます。それだけ私たちに浸透している概念でもあるのでしょうね。

そんなこともあって、お地蔵様は昔から人気が高かったそうです。庶民にとって身近で、わかりやすく救ってくれる存在なのです。

 

えっ!閻魔大王はお地蔵様の化身だって!?

閻魔大王 お地蔵様

ここまで地獄から救ってくれるから人気があったと言ってきた地蔵菩薩ですが、実は恐ろしい地獄の閻魔大王の正体でもあるのです。

なんでお地蔵様!私たちを救ってくれるんじゃなかったの?裏切り者、いや裏切り菩薩!!

って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、少々落ち着いてください。

 

地獄に堕としといて救うという、何やら自分で火を着けて、自分で消すマッチポンプのような話に聞こえるかもしれませんが、事はそんなに単純ではありません。

 

先ほどの「地蔵本願経」には「地蔵菩薩は六道で罪苦に苦しむ人びとを教化(きょうげ)することを本願とし、人びとが成仏するまでさとりは開かないと誓われ、地獄で苦しむ人びとを救うため閻魔大王と化る」と記されています。

また「地蔵十輪経」にも「あるいは閻魔大王の身となり、あるいは地獄の極卒となり、あるいは地獄の身となって人びとを救う」とあります。

そこで時には、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦しむ人びとの身代わりになって、地獄の責め苦をうけられます(身代わり地蔵)

 

確かにただ悪人を救うとかそんな甘い話ではあってならないと感じます。厳しく裁きをくだし、罰を与えるのもお地蔵様の役目なのです。

その上で、一緒になって苦しむ。時には身代わりにもなり地獄の責め苦も受ける。お地蔵様はそれほど慈悲深い菩薩様だということなのです。

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地蔵菩薩が僧侶の恰好をしている理由

お地蔵様の姿は、実は他の菩薩様と比べるとちょっと変わっています。

他の菩薩は釈迦が出家される前の姿がもとになっていて、インドの王族や貴族の服装で豪華な装飾品を身にまとっています。

 

ところが地蔵菩薩は「僧形(そうぎょう)」といって、修行僧のように頭を丸め、僧衣を身につけています。これはいつどんなときでも、たとえ地獄でも自ら進んで入っていって、人びとの苦しみを救うという意志のあらわれです。

ちなみに如来になると、服装がシンプルになり装飾品が無くなります。悟りを開いたから余計なものはいらないということなんですかね。この辺りも良く見てみると面白いです。

 

幼い子供たちの墓石がお地蔵様である理由

賽の河原 お地蔵様

お墓に行くとよくお地蔵様を見かけます。墓地の入り口にある6地蔵もそうですが、お墓の中に立っているお地蔵様には何か意味があるのでしょうか?

このお地蔵様は、幼い子供たちの墓石なのです。そこには深い深い涙が出てくるような意味があります。

 

子供たちが泣きながら何度も石を積み上げる『賽の河原』の話をご存知の方は多いと思います。

「一つ積んでは父のため」

「二つ積んでは母のため」

此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にある三途の川、そのほとりには賽の河原があり、幼くして亡くなった子供たちは転がっている石を集めては、積み上げ、仏様や親の供養します

なんで亡くなった子供が親の供養をするの?という話ですが、それは親が嘆き悲しんでいるからです。

 

仏教では昔から、仏像を作ったり仏塔を建立したりすることには大きな功徳があると考えてきました。これを造塔供養と言います。お墓もそうです。

幼い子どもらに立派な像や塔を作ることはできないが、せめて河原の石を積んで仏塔を作り功徳を生み、その功徳を親に向け、親の平安を祈ったのです。

だけど鬼がやってきて鉄棒でせっかく積み上げた石塔を崩してしまう。子供たちはその度に石に擦れて手に血を滲ませながら何度も何度も石を積み上げるのです。

 

なんとも切ない話ですが鬼が石塔を壊すということは、まだ子供たちの功徳は親に届いていない、親は悲しみから救われていないということなんです。

だから鬼は石塔を壊します。作り直せ!ということです。

 

そんな中で、子供が泣いているとお地蔵様がやってきて、鬼を追い払い一緒に石塔を作ってくれます。「あの世の親」となって、幼い子供たちを慈しんでくださっているのです。

だから親も安心して悲しみの中からも前を向くことができます。だから幼い子供の墓石はお地蔵様なんです。

お墓のお地蔵様は、子供を供養すると共に親や家族の心を救ってくれるのです。

 

石のお地蔵様の魅力

お地蔵様 購入

ここまで真面目にこのブログを読んでくださった方は、お地蔵様の認識がぐっと深まっていると思います。

お地蔵様~~(涙)」とすっかりお地蔵様のファンになっている方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんな方はぜひ、お地蔵様を身近に置くことをお勧めします。お地蔵様はちょっとした小物も沢山ありますし、印刷物でもよく見かけます。

そして何よりもやはり石のお地蔵様は普遍的でいつまでも私たちを慈悲深く見守ってくださいます

 

お地蔵様は、技術力の高い石工が精魂を込めてノミを振るいつくっていきます。

まるで魂を込めるように、お顔を形づくっていきます。そうやって出来上がったお地蔵様には特別な功徳が宿ります

 

ご興味を持たれた方は、お近くの石屋さんに相談してみてください。思い当たる石屋さんがいなければ私でもいいです。

魅力あるお地蔵様を手元に置く幸せを、ぜひ感じてみてください。

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お地蔵様についてまとめ

お地蔵様について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?

お地蔵様は、日本中で親しまれていて、調べれば調べるほど良いお話が出てきてとても紹介しきれません。それだけ慈悲深く、私たちの近くにいて、救い続けてきたのだということをあらためて認識しました。

 

無心に遊ぶ子供たちを村はずれや町の辻から、あたたかな眼差しでにこにこみているお地蔵様。

200年前も今と同じように優しい眼差しで当時の子供たちを見ていることを想像すると胸が熱くなってきます

ずっとずっと子供たちを温かく見守ってくれているのです

 

習俗とはその国民が共有する「良識」のようなものだそうです。誰の心にも素直に響き共有できる感覚。

まさに子供たちを見るお地蔵様の優しい眼差しは、すこやかで善い子に育ってほしい、という私たちの気持ちを代弁してくれているのではないでしょうか?

地獄に行ってまで救うというのも、亡くなった家族があの世で苦しまずいつまでも安らかでいて欲しいと願う、残された家族の祈りそのものなのです。

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この記事を書いた人

中野良一のアバター 中野良一 羽黒石材工業㈱営業部長

1級お墓ディレクター・1級土木施工管理技士
見に見えない存在であるご先祖を「見える化」した【いのちの積み木】→http://senzo.inotinotsumiki.com 雪のように白くてキレイな【淡雪五輪塔】のプロデュース。

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