コロナウイルスと阿弥陀様との関係

コロナウイルスと阿弥陀様

阿弥陀様に真剣に拝む。

阿弥陀様の存在って、私にとって漠然としてものだったのですが、最近、ほんとうに真剣に阿弥陀様に拝む機会がありました。

その時の様子をコロナウイルスの話を交えながらさせていただきたいと思います。

なかの
こんにちは、1級お墓ディレクターのなかのYoutube Facebook Twitter自己紹介)です。

お墓に関するブログを10年以上書き続けているお墓のプロであり、稲田石の採掘元であり石材加工をしている羽黒石材工業の営業部長です。

いのちの積み木という見えないご先祖様を見える化したおもちゃを使ったプロジェクトプロデューサーでもあります。

阿弥陀様に拝む機会は今までも数多くあります。祖父祖母の葬儀や法事でもお坊さんが来てお経を読んでくださり、阿弥陀様に拝みました。だけど祖父祖母への想いが強く、阿弥陀様に拝んでいるという感覚ではありませんでした。

今回、阿弥陀様に無償にお参りしたくなったのは、圧倒的な感謝を感じた時でした。仏教者ではない、一般人の私ですが、だからこそ参考になる部分もあるかと思います。コロナウイルスにより外出自粛を求められストレスが溜まっていらっしゃる方が多い時期だからこそ考えてもらいたい話です。

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目次

阿弥陀様に真剣にお祈りをした理由について考察してみる

私はかれこれ2年半以上お寺に通っています。栃木県宇都宮市にある光琳寺という浄土宗のお寺なのですが、いのちの積み木プロジェクトのパートナーである井上広法先生が住職を務められていて、読経や瞑想をさせていただき法話も聴かせていただいています。

石材店に勤めていて仏教には元々興味があったけど、広法先生のわかりやすい仏教に惹かれ、学ばせていただくようになりました。特に心の操縦の仕方の部分がためになっていて仏教の知恵の部分と合わせて、少しづつ身についてきていると感じます。

それまでも仏教の本を読んだりしていたのですが、環境そのものを変えないとなかなか身につかないと感じています。その点で通えるお寺のあることをありがたく思っています。

2年半通っても阿弥陀如来の存在の意味がわかりそうでわからない

これを言ったら広法先生に怒られるかもしれませんが、2年半以上通っておきながら実は良く阿弥陀如様の意義がわかっていませんでした。

ここについては、ずっと考えていた部分です。自分なりに理解しようと模索し続けていました。この世は科学でも証明できないようなことばかりで、例えば明日の天気予報は、予報でしかなく、晴れと予測していても大雨が降ることはあります。皆さんも天気予報が当てにならなかった経験はあるでしょう。

人知の及ばないところを司ってくださっているのが阿弥陀様という風に私は理解していました。この解釈が合っているのかどうかわかりませんし、お坊さんによっては間違っていると指摘されるかもしれませんが、根拠なしに信じることが苦手な私にはそういう解釈が腑に落ちるのです。

得てして人は傲慢になりがちで、自分で何でも知っているし、何でもできると勘違いをしてしまうことがあります。だけど、そんなことはないと教えてくださるのが阿弥陀様という存在だという感覚です。

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コロナウイルスと阿弥陀様との関係

生きていて思うのは、ほんとうに「思うようにできないことだらけ」だということです。コロナウィルスもそうですが、これだけ科学が発達した世の中でも対応できず、世界的な混乱を招いて資本主義経済が著しく滞ってしまっています。

東日本大震災の時には、圧倒的な自然の力に私たちはされるがままで何もできませんでした。

これらの事実はひっくり返すと、こういった周囲の事象がある中で私たちは生きているということになります。

当たり前に享受できていたことが阻害されると、人々はありがたみを感じます。おそらくコロナウイルスにより自宅での生活を余儀なくされている方の中にはストレスが溜まって、外で遊びたいとか、外食したいとか、お店で思いっきり買い物したいと思われている人も多いでしょう。

コロナウイルスが収束して通常の日々に戻った際には、当たり前だった生活ができることに感謝されることだと思います。だけど直ぐに慣れて忘れてしまいます。

阿弥陀様はこれらをひっくるめて俯瞰で私たちを見ていてくれます。

圧倒的な感謝を感じた時に誰に伝えるか

これに深く気が付いたのは、圧倒的な感謝を感じた時に真っ先に阿弥陀様が思い浮かんだからです。半年ほど思い悩んでいる自分ではどうにもならないことがあったのですが、解決の道筋が立ちました。もちろん関わっていた友人とも共有して喜びを分かち合いましたが、それを超えるなんというか不思議で大きな力を感じたのです。

この気持ちをドーンと受け止め満たしてくれる存在は、阿弥陀様しかいないと。実際にお寺に行ってお祈りをするとジーンと心が動かされました。しみじみとありがたいなぁと。祈る対象は、信仰している宗教宗派によって変わってくると思いますが、人知を超えた存在に感謝をする意味を実感した瞬間でした。

これはミニお寺である仏壇では、ちょっと役不足だと思います。仏壇は日々のお祈りの場であり、ここぞという時にはお寺の本堂で阿弥陀様の前でお祈りをする。小さな感謝の習慣を積み重ねて、大きな感謝はしっかりと伝える。そんなことを感じました。

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まとめ

未知のウイルスであるコロナウイルス。でも同じような脅威のウイルスがまだ表れてくる可能性は大きいです。アフターコロナの世界がどう変わるのかわかりませんが、以前のようなグローバル化を目指す経済ではなくて、国ごとに閉鎖的になっていくという予測もあります。

これに関しては、コロナ以前にアメリカ主導でそのような動きがありましたが、新型コロナ中国陰謀説などで加速している感すらあります。いずれにしろ外に外に向かっていく時代ではなくなり、内に向かい。内需を重要視したり、そしてまた心の豊かさに目を向ける時代にもなっていくような気がしています。たぶん、コロナが収束してもしばらくは辛い時代が続くでしょうから。そんな時代にお寺の果たす役割って大きいと感じています。

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この記事を書いた人

中野良一のアバター 中野良一 羽黒石材工業㈱営業部長

1級お墓ディレクター・1級土木施工管理技士
見に見えない存在であるご先祖を「見える化」した【いのちの積み木】→http://senzo.inotinotsumiki.com 雪のように白くてキレイな【淡雪五輪塔】のプロデュース。

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