あけましておめでとうございます。2019年が始まりましたね。
今年もどうぞよろしくお願いします。
石材業界にいらっしゃる人であれば、いまさら言うことでもありませんが、この業界は年々需要が減っている状態です。お墓を建てられる方の多くが既に建ててしまい。新しくお墓を建てられる方は、小型化して小さな区画に小さなお墓を建てる傾向にあります。また、今後の跡継ぎの不在もしくは、維持の不安から、お墓を仕舞って永代供養墓などに移す『墓じまい』も多くなってきました。
現実的には『墓じまい』で生計を担っている石屋さんが多くなっているぐらいです。
そんな中で、私が務めている羽黒石材工業は、お墓を石を切って加工する生産者側に当たるわけですが、今後の行く末についていろいろと考える時があります。年始のブログということで、少しまとめてみました。
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目次
今後の墓石の需要の傾向は?
先程、現在のお墓の需要は減り続けているというお話をしましたが、今後の行く末はどうなっていくのでしょうか?私は、やはりこのまま減り続けると考えています。
お墓は、元々裕福でありお金に余裕のある方が建てるものでした。大昔に遡ると天皇や豪族などの権力者が建てるものであり、庶民が建てるようになってきたのは江戸時代ぐらいからでした。
硬度経済成長時代には、総中流社会なんて言い方もされていましたが、日本国民の多くが裕福になり、高価なものを買いお墓にもお金を避ける余裕も出てきたのです。
ところがバブルが弾けて以降、日本人の価値観が変わり家計に占めるお金の支出の傾向も変わってきました。日本経済が右肩上がりのイケイケの頃とは異なり、消費マインドが消極的になり、高価なものが売れにくい世の中になってきています。
そんな中で、『お墓は不必要なもの』と捉える方も少なからずいらっしゃいます。『お墓は坊主や石屋が儲けるだけ』なんておっしゃる方もいらっしゃいます。なぜ、こんなことをおっしゃる方が増えてきたのか、私達石屋は、深く考える必要があると感じています。
お墓は不必要なものなの?
私は、今、いのちの積み木プロジェクトを推進していて、地方に呼んでいただける機会が増え、そこで講師としてお話しをさせていただけるようになっていきました。その中で、懇親会などでザックバランな話をすることがあるのですが、『ご先祖さまの大切さを伝える活動』に対して否定的な方がけっこう多くいらっしゃいます。
『今の消費者は、そんなことを考えていないから』
『私自身(石屋)神様も仏様もご先祖様も信じていないから』
本当に、ざっくばらんなご意見をいただけて、ありがたいと思います。実は、私自身が、あまり目に見えない存在を信じないタイプの人間でした。神様・仏様・ご先祖さまについて真剣に考え受け入れるようになったのは、今の職業についたことが一番の大きな理由です。なぜ、受け入れ考えようかと思ったかというと、お墓というものは、多分に宗教的な意味合いを含むものであるということを実感するようになったからです。
宗教的なものを扱うのだから、石屋さんがそれについて深く良く知る必要があると考えたのです。そして、そういった側面からお墓を見ていかないとお墓の必要性が見えてこないと感じています。このあたりのことは伝えることがホント難しくて毎日試行錯誤を繰り返しているところではありますが、日本人はDNAにそういった『見えないものを感じることができる感性』が染み付いていると考えています。
わかり易い例は『初詣で』で、日本人の多くの方がいく行事だと思いますが、見えない神様に感謝をして願掛けを行います。漠然とお祈りをされている方も多いと思いますが、当たり前ですが宗教的な行為です。
お墓参りも同様で、見えない存在であるご先祖さまにお祈りを捧げる行為ですが、その意味を深めてあげることが大切であると感じています。日本人は、元々先祖供養が大好きな民族です。国民の祝日である秋分の日は『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ』ために国が定めたものです。これは日本人が見えない存在であるご先祖さまを感じて敬う感性を持ち合わせている民族であるということの証明でもあります。
お墓は、先祖供養の心を現す上でこの上ない場所であり、だからお墓は必要なものであると声を大にして言えます。感謝の心を持ち続けることは、人生を【生きる力】になります。
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日本のお墓を守るということ
そんな日本人にとって大切な機能を持つお墓ですが、少しづつ『厄介者』に近いような感覚で、【無用】とする風潮があることは大変悲しく思います。皆さん諸事情があり、墓じまいを余儀なくされる方が多くいらっしゃることは理解できますが、けして『面倒くさいから』とか、『お金がもったいないから』と言ったような理由でしていただきたくはない。同様に『子供に迷惑を掛けたくないから』という話もありますが、これも一度きちんと親子で話をしていただきたいのです。
そこを消費者に考えてもらえるように促すことができるのは、やはり石屋であると考えています。考えるきっかけが無ければ消費者は世の中の風潮にドンドン流されてしまいます。だからお墓の意味や必要性を伝えていくことがこれからの石屋には求められているのです。
これには、お墓を加工する生産者側としての想いもあります。このご時世、石材加工を続けるのは、かなり厳しいのが現実です。今はまだ中国産墓石が全盛ですが、いつまでも日本向けお墓の生産国であり続けてくれるのかは未知数です。様々な諸条件を鑑みると、近い将来日本向けに輸出しなくなる可能性もあります。
そんな時代に、日本人にお墓を提供できる体制が残っていないと日本人の先祖供養の文化を守るのも難しくなります。だから、厳しい時代ですが石材加工卸として踏ん張って、しっかりと下支えをしていくことが我々の使命だと感じています。
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まとめ
『日本人にとってのお墓って何なのだろうな~。』というところから日々考えていることをまとめて書いてみました。まだまだ勉強も足りないと思いますし、学びながら発展していければと考えています。
『これからの石屋は【石屋以上、お坊さん未満】である必要がある』というのは、私が尊敬している河野石材店の河野さんの言葉ですが、本当にそうなのだと思います。
Web全盛で、情報に溢れる現代では、情報の価値が下がり、より本質的な部分を伝えることが求められてきます。『人は感情でモノを買う』ともいいますが、その中で【こころ】の部分を伝えていく重要性を感じています。私達石屋さんが、宗教者に近い感性を持ち合わせる必要があるのではないでしょうか?
私が今回書いた方法が正解ではなくて、他にも石屋が今後発展していけるいくつかの選択肢がありますが、いずれにしても石屋が石屋でいられる時代は終わりを告げます。
私自身は、温故知新の精神で、引き続きお墓の新しい価値の伝え方を模索していく1年にしていきます。本年もどうぞよろしくお願いします。
※温故知新=昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。
1級お墓ディレクターの「なかの」はこんな人ですよ。
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羽黒石材工業株式会社
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