私たちは、日ごろの生活の中で、動植物の命をいただきながら生きています。これは感謝すべきことなのですが、毎日毎日の積み重ねの中で当たり前だと受け止めてしまい感覚が薄まっています。
ところが、魚釣りを体験して、実際に釣った魚を食べてみることで一匹一匹の魚にも命があることを強く感じることができます。
今日は、そんな体験についてお話をさせていただきます。
[ad#co-1]
目次
小さなイワシが教えてくれた命の大切さ~魚釣りが食育になるという話
私は44才になって、釣りを始めました。釣り堀で魚を釣ったことぐらいはありましたが、面白そうだな~と思うことがあってもチャレンジすることはありませんでした。
なぜ、釣りを始めたのかと申しますと、小4になる息子が興味を持ったからです。
息子は、生き物が好きで、田舎暮らしなものですから、日がな一日虫採りをしてみたり、田んぼでザリガニやどじょうを捕まえたりしています。
昨年は、カブトムシとクワガタにハマって、ひと夏探し回ってミヤマクワガタも捕まえました。それらを飼育するのが好きで、幼虫も育て孵化させることにも成功しています。
今年もエビやらカニやら捕まえてきて水槽に入れて喜んでいます。その延長線上で海で釣った魚を家の水槽で飼いたいそうで、またさばいて食べてみたいそうです。
これには、多分に人気YouTuberであるきまぐれクックの金子さんの影響が大きいです。
大興奮の海釣り体験
初心者なので、右も左もわからないままに釣具店の店員さんに聴いたり、ネットで調べたりして釣り具一式を購入。釣りに挑戦しましたが、海風が吹く中での釣りは気持ちが良く、釣りは楽しいものでした。
サビキ釣りという方法で漁港の防波堤から小型のイワシなどの魚を釣ったのですが、あーだこーだ言いながら、仕掛を何とか作って吊り始めます。
針にかかった瞬間に竿を持つ手にビビビッという感触が走り、魚が糸を引っ張ります。慌てふためきながらも何とか小さなイワシを吊り上げ、息子は大興奮、慣れていない私でも「釣れた~」と感動します。
2匹のイワシを戦果に意気揚々と家に帰った私たち親子。ところが家に帰って水槽に入れたら直ぐに弱ってきてしまいました。イワシを家の水槽で飼うこと自体どうなのかわかりませんが、何かが環境に合わなかったようです。
海から1時間以上離れているので今更リリースするわけにもいかないし、命を粗末にするわけにもいかないので食べることにしました。
[ad#co-2]小さなイワシをさばいて食べる体験
ほんとうに小さなイワシ。たぶんいつもならほとんど意識もせずに頭からパクっと食べていたのだと思います。
だけども自分たちで海で釣ってきたイワシ。息子も手伝いながら包丁で切って内蔵を取り出しました。腹から開いて良く洗い、水気をふき取ってから片栗粉をまぶして焼いていきます。
できあがったイワシのムニエル。美味しいけど、複雑な気持ちです。やっぱり釣った時のことを考えてしまいます。ビビビッと竿にくる感触、そしてついさっきまで生きていたのです。少し罪悪感もあります。
だけど私たちが普段無意識にでも口にしている食べ物はそういった命をいただいているということなのです。きれいごとではないのです。
息子が釣り体験から何を学ぶか
息子はまだ小学生であり、どこまでこの釣りを通して命の大切さを感じているのかどうかわかりませんが、こういった体験をすることが大切なのだと感じています。
魚がどこで生きていて、どうやって捕まって、さばかれて、食卓に並ぶのか。目を背けたい部分でもありますが、でも命をいただくってそういうことなのです。
普段は黙っていても食卓に並んでいる魚たち。だからこそ、その見えない部分への想像力を働かせる。少しでもいいので、そんなことを考えてくれたらいいかなぁと感じています。自分で考えていくことなので、押し付けたりしませんけどね。
[ad#co-3]小さなイワシから学んだこと
小さなイワシを通して、普段は無意識で食べていた命のありがたみを知りました。生きている環境から、釣って、食卓に並ぶ過程は、食育が詰め込まれていると感じます。
私にとってもそうですが、息子にとって何か感じることができる機会になれば幸いです。
今後も息子との共通の趣味として、魚釣りを続けていきます。やっぱり自然の中で釣るのは心地良いですし、息子に良い思い出を作ってあげたい。また私自身癒されるんですよね。
息子といるだけで癒されます。同じ目線で、同じ方向を向いて楽しむのは本当に貴重な時間です。
コメント