こんにちは、元石屋のりょういちです。山道や河原で、石を積み上げた小さな塔を見かけます。人はなぜ石を積み、手を合わせるのか。仏教の考え方からたどります。お墓にも通じる話です。
石を積むのは、悪いことではなく、功徳を積む良い行いです。仏教に「塔を建てることはありがたい」という考えがあり、それが石積みへの敬意につながっていると、私は考えます。
「石を積むと縁起が悪い」という決まった言い伝えは、調べた範囲では確認できませんでした。むしろ、願いを込めた石積みが各地にあります。

人は何故に石を積み信仰するのか
以前、石造物が好きな石屋仲間で、京都の石造・石仏を巡るツアーに行きました。そのとき、山道や河原の石積みに、日本人の宗教観の根が見えた気がしました。
誰が積んだのか分からない石積みに、お賽銭が供えられていることがあります。石積みそのものが、信仰の対象になっているのです。
この「石積みをありがたがる心」について、周囲の人(石屋ではありません)に尋ねてみました。
「そういえば不思議だね。理屈ではなく、なんとなくありがたいんだよ」という答えが、多くを占めました。
日本人の感覚として、無意識のうちに、そう感じさせるものがあるのでしょう。心の深いところに根づいているのだと、私は想像しています。
ただ、ここで終わっては、元石屋として話になりません。理屈のある説明を、順にしていきます。

賽の河原で石を積み壊される子どもたち
石積みの例として、最も分かりやすいのが、賽の河原の物語です。
親より先に亡くなった子どもたちは、冥土の三途の川の河原にたどり着きます。そこが、賽の河原です。
河原には、丸い石がいくつも転がっています。子どもたちは、その石を一つずつ拾い、親を想いながら、小さな塔を積み上げていきます。
一段積んでは父のため、二段積んでは母のため。そう願いをかけながら、小さな手で、石を重ねていきます。
ところが、日が傾くころ、鬼がやって来ます。鉄の棒を振るい、積み上げた塔を、あっという間に崩してしまいます。
鬼は、「親より先に死んだのは、親を悲しませた罪だ」と、子どもたちを責めます。
子どもたちは、泣きながら、また一から石を積み直します。手に血をにじませても、積んでは崩され、積んでは崩され、終わりがありません。
そこへ、お地蔵様が現れます。子どもたちを衣の袖に包み、「これからは、私を親と思いなさい」と、やさしく声をかけて、鬼から守ってくださるのです。

我が子を亡くした親は、深く嘆き悲しみます。この物語の中では、親より先に亡くなったことが、罪のように扱われます。子どもたちが石を積むのは、親を供養し、自らの功徳を積むためです。
お地蔵様は、子どもを守る仏様としても親しまれてきました。賽の河原の物語は、子どもの供養とお地蔵様が結びついた、背景の一つです。
賽の河原の話そのものは、仏典に直接の典拠がなく、中世の日本で生まれた俗信だと考えられています。江戸時代には、和讃(仏教の歌)を通じて広く知られるようになりました。
ただ、その由来は、法華経の方便品にあるとされています。そこには、子どもが遊びで砂を集めて塔をつくっても、その功徳によって仏の道を成す、という教えが説かれています。

「賽」は、境を守る神、道祖神(塞の神)の「さい」に由来する、という説もあります。石を積む習わしは、さらに古い、石への信仰ともつながっているようです。
塔をつくることは善い行い(造塔供養)
子どもたちが、親を想って石を積む話をしました。この行いには、仏教に深い由来があります。
それは、塔をつくること自体が、ありがたい行いだという考えです。
塔といっても、スカイツリーやエッフェル塔とは異なります。そのルーツは、お釈迦様のお墓、ストゥーパにさかのぼります。
お釈迦様の遺骨は、いくつかに分けられ、それぞれに塔が建てられたと伝えられています。その後、アショカ王が、インド中に8万4千基の塔を建てたと伝えられ、塔は中国や東南アジアにも広がっていきました。
中国では、当時の楼閣建築と結びつき、重層の塔へと華やかに発展しました。

それらの塔は、人々にとって、ありがたい存在でした。ありがたいものを建てる行為そのものが、善い行いとされたのです。
日本には、五重塔や三重塔などとして伝わり、各地に建てられました。五重塔は、当時の建築技術の粋を集めて作られたもので、その点では、スカイツリーやエッフェル塔に通じるものがあるかもしれません。
塔は、石でもつくられました。五輪塔、宝篋印塔、宝塔、そしてお墓も、石を積んだ塔の一つです。
お墓の後ろに立てる卒塔婆(そとうば)も、塔の一つです。卒塔婆は、ストゥーパの音に漢字を当てた言葉です。
卒塔婆は、日本中で、数えきれないほど立てられています。現代の日本でも、私たちは、ありがたい塔を、数多く立て続けているのです。
塔を立てることがありがたいという考えは、法華経の「如来神力品第二十一」にも説かれています。経を受け持って実践する場所には、塔を建てて供養しなさい、という教えです。
塔=ありがたいという心理
最初の問いに戻ります。人は、なぜ石を積み、それをありがたがるのか。
その背景には、お釈迦様のお墓、ストゥーパという、仏教のルーツがありました。それは、お墓や卒塔婆にもつながっています。

もちろん、日本各地の石積みが、すべて仏塔の信仰から生まれたわけではありません。山道の目印として積まれた石もあれば、地域の信仰や供養に結びついた石積みもあります。
ただ、その中には、塔をつくることに功徳があるという考えと、深くつながるものがあると、私は思います。
こうした歴史の流れもあって、石を積み重ねること自体をありがたいと感じる感覚が、日本人に根づいているのだと、私は考えています。
個人的には、仏教のルーツだけでなく、心理的な要素も大きいと感じています。石を高く積む行為と、高く積まれた塔そのものが、人の心に作用するからです。
たとえば、幼い子どもが夢中で積み木を積み上げるのは、理屈ではありません。スカイツリーを見上げて、思わず感嘆の声がもれるのも、本能に近い反応です。
そうした感覚が、信仰と結びついていったと考えるのが、自然ではないでしょうか。
「縁起が悪い」より、石を積むのは良いこと
「石を積むと縁起が悪い」と言われることがありますが、ここまでの話を踏まえると、石を積む行いは、むしろ良い意味を持っています。

石を積むのが「良いこと」と言える理由
- 賽の河原の子どもたちは、親の供養と、自分の功徳のために、石を積む
- 法華経の方便品には、子どもが遊びで砂の塔をつくっても、功徳になるという教えがある
- 塔をつくること自体が、ありがたい善い行い(造塔供養)
- 石積みは、安全祈願や供養など、願いを込めて積まれてきた
- お墓も、石を積んだ塔の一つ
賽の河原を連想して不安になる人がいるのは、自然なことです。ただ、あの物語の子どもたちは、親のため、そして自らの功徳のために、石を積んでいます。石を積むことは、祈りの形の一つだと、私は思います。
石を積み上げたお墓の意味
私たちが日ごろお参りしているお墓も、よく見ると、いくつかの石を積み重ねてできています。
石を積んだ塔、それがお墓です。ありがたい意味を持ち、功徳を積み、ご先祖様を供養できる場所です。
日ごろ、何気なくお墓参りをしていても、そこには深い意味があります。次にお参りするときは、今回の話を思い出してみてください。いつものお参りが、少し違って感じられるかもしれません。
よくある質問
- 石を積むのは、縁起が悪いのですか?
-
「石を積むと縁起が悪い」という決まった言い伝えは、私が調べた範囲では確認できませんでした。賽の河原を連想して、不吉に感じる人はいます。
でも、仏教には、塔をつくることが功徳になる、という考えがあります。賽の河原の子どもたちも、功徳のために石を積んでいます。石積みは、安全祈願や供養など、願いを込めて積まれてきました。
- 賽の河原の石積みを、崩してもいいですか?
-
石を崩すのは、物語では、子どもたちを責める鬼です。実際の石積みには、誰かの願いが込められています。むやみに崩さず、そっとしておくのがよいと思います。山では、道しるべの石積みを崩すと、道に迷う人が出るおそれもあります。
- 神社や山で、石を積んでもいいですか?
-
石を積んで、安全祈願や供養をする風習があります。ただ、神社や場所によって、考え方も決まりも違います。看板や、管理者の案内に従ってください。お地蔵様のまわりに小石を積んで、子どもを供養する風習がある地域もあります。
- ケルンとは、何ですか?
-
山で、道しるべや記念のために、石を積んだものです。日本の積み石も、もともとは、霊を鎮める意味があったのでは、という見方があります。
この記事の根拠
私の経験:石造物が好きな石屋で行った、京都の石造・石仏ツアー。
賽の河原:コトバンク「賽の河原」(デジタル大辞泉、日本大百科全書、世界大百科事典など。日本大百科全書は、由来を法華経方便品とする)、新纂浄土宗大辞典「賽の河原」。
塔(ストゥーパ):コトバンク「仏塔」(日本大百科全書、山川世界史小辞典など)。
コメント